吹田市千里丘の俊カイロプラクティック院

私がお待ちしています。

吹田市千里丘の俊カイロプラクティック院へようこそ!

私が院長の中村某です。

本当は私自身の写真などを沢山紹介したいと思っているのですが、色々とありまして、今は控えています。

今の基本出張のスタイルではなく、しっかりとした場所に治療院を開業するようになれば、

  • 院長の写真
  • 施術風景
  • スタッフの写真
  • 院内風景

などもドンドン掲載して、本ホームページをご覧になってくださる皆さんに、

  • 「お、こんな先生もカイロプラクティックにはいるんだな」
  • 「お、こんな考え方の手技療法もあるんだな」

と読むだけで当院のメッセージが伝わるような内容にしていきたいと思っています(笑

もう少しだけお待ちくださいませ。

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私は元々ヘルニア患者でした(笑

吹田市千里丘の俊カイロプラクティック院の院長は、元々が重たい重たい腰椎椎間板ヘルニア患者でした。

当時はベンチャー企業に勤め、バリバリ24時間体制で働き、寝る間も惜しんでの労働生活だったんですね(笑

でも、とても楽しかったですよ(笑

  • 自分が会社にとって必要とされている。
  • 仕事を任されている

そんな自覚が仕事をとても楽しいものにしてくれていました。

ですが、そんな生活をしていて、身体が持つわけがありません。

ある日、朝起きようとすると・・・・・・・

「ビリビリビリビリビリビリ!!!!」

という人生初の感覚が太ももから背中にかけて走ったのです。

それが「神経痛」と呼ばれるものだと知るのには少し時間がかかりました。

その時は、

「?????・・・・・何これ?」

と自分の身体に起こった事が理解できず、頭が真っ白、大パニックだったのです。

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健康保険適用・国家資格に助けを求める院長

当時の院長には選択肢は健康保険適用・国家資格しかありませんでした。

  • 何とか安くしたい
  • 国家資格がないのは怖い

このような感覚だったからです。

そして、沢山健康保険が利くところに通いました。

でも、駄目でした。

そして、整形外科でのMRI検査に進み、あの宣告を受けたのです。

  • 「手術による治療が最善ですね。」
  • 「何かしらの後遺症が残ると覚悟しておいてください。」

当時、26歳の院長には余りに厳しすぎる宣告でした。

「心ここにあらず」の状態で医師の先生から何を言われていたのか全く覚えていないくらいです(笑

頭の中には

  • 「ああ、手術しかないのか・・・・」
  • 「後遺症が残るのか・・・・」
  • 「もう、スポーツなんて一生できないんだな・・・」
  • 「この先、何のための生きるんだろう・・・・」

と本当にネガティブ思考が満開だったのです。

そう、ヘルニアを宣告されてからは

「できないこと」

「しては駄目な事」

ばかりの話が耳に入り、どうしても人生に希望を見出せなかったのです。

今なら断言できます。

椎間板ヘルニアの最大の敵は、「心を破壊される事」です。

今もなお、沢山の方がここで心を折られ、手術という選択をしていると思います。

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清水寺の舞台から飛び降りた院長:カイロプラクティックへ

実は、院長も初めは「もういいや、手術しよう」と諦めたことがありました。

  • 仏教系の本
  • 精神世界の本

等を読み漁り、少しでも心を楽にしようと思っていた時期です。

ですが、そういった本を読んでいると、

「自分の人生を他人の価値観で決められちゃかなわんわ」

と突然頭にポジティブ思考が降臨したのです(笑

そして思いました。

「どうせ、手術宣告された身だから、一か八か手技療法を受けて、壊れても手術で復活しよう」

と。

今にして思えばなんという無茶苦茶な理論でしょう(笑

でも、この気持ちの切り替えによって何かが動き出したのです。

そして、院長は大阪市平野区の宏カイロプラクティック院のドアを恐る恐る開いたのでした。

後の師匠となる方とは思いもしませんで・・・・・・w

>>「院長ヒストリー2」へ続く



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