院長が出した「国家資格を取らない」という選択肢

院長は国家資格を持っていません。実は国家資格の取得も考えた事があったのですが結局はやめました。

ここではどうして院長が国家資格取得をしなかったのかについて説明したいと思います。

目次

「取り敢えず」で取る事への違和感

今、新たに開業をしようとした場合に多くの先達はこう言います。

「国家資格は取っておいた方が良いよ」

これは社会的信用が違うから、という事だと思うのですが院長には余り響きませんでした。

「取り敢えず」であろうとなかろうと、国家資格は世の中に対する一定の信用に繋がりますが「取り敢えず」で取った立場で「国家資格があるので安心です」なんてとてもじゃないですが言えません。

自分を偽りながら臨床に向かう事は絶対にできません。

ですのでその選択肢は無かったのです。

自分がやりたい事と国家資格で学ぶ内容は畑違い。

医療系の国家資格といえば

  • 医師
  • PT:理学療法士
  • OT:作業療法士
  • 柔道整復師
  • 鍼灸師
  • あんま・マッサージ師

となります。

他にも海外のカイロプラクティック大学で学んでDC(ドクターオブカイロプラクティック)の資格を取るのもありだと思います。

このうち、自分が院でしようとしている事をダイレクトに学べる資格は悲しいかな「DC」だけでした。でもそれは国家資格ではないので「あります!」といっても「国家資格か否か」を基準にされると無価値になります。

早い話が医療系国家資格を取得しても学ぶ内容が日々の臨床とは畑違いの内容になるので「社会的地位」「安心感」というものだけがその恩恵となる状態だったのです。

これに数年間の期間と数百万円の費用を掛けるのは流石にメリットが少な過ぎると考えました。

解剖学や生理学は自分でした方が早い

良く国家資格取得者の先生が言う内容に

  • 「一定の基準を満たしている」
  • 「基礎医学を修めてる」

という項目があるのですが、PTや柔整師、鍼灸師の専門学校で学ぶ基礎医学は医大のそれとは全く別物です。教科書からして全然違います。看護師の方が学ぶ教科書も同様です。

院長は元々医大で使う教科書が医療系国家資格の基本だと思っていましたが実際は全然違っていました。

これもある意味「固定観念」で自分の世界を狭めていたと思います。

院長は医大の教科書を使って基礎医学を学んでいたので、今更簡略版の教科書を学びに行くのはどうしてもメリットを感じられませんでした。

やはり「資格の安心感」という点以外にメリットが見当たらなかったのです。

当院は「国家資格とかの問題ではない」と気付いた患者様の為にある。

国家資格を取ろうと思えなかった最大の理由がこれです。

院長は元患者時代に「国家資格がある方が安心」と病院や整骨院を頼りました。有名な先生がいる病院や整骨院も頼りました。

でも駄目でした。

そして辿り着いたのが「国家資格とかではなくその人の問題だ」という事です。

国家資格の有無は経験上、余り信用の担保にはなりません。資格の上に胡坐を書いている人も多い。

でも、外から見えるのは「国家資格が有るか無いか」という点だけ。それ以上を見分ける術なんて無いのです。

  1. 大切な事は資格よりも身体とどう向き合う人なのか
  2. 大切な事はその症状に対してどんな考えを持ってアプローチをするのか
  3. その先生がどんな考えを持って何を目的としている人なのか
  4. 何より大切なのは自分自身が自分の身体とどう向き合うか、身体を理解するか

ひょっとして健康を取り戻すってこういう事じゃないの?」とふと気付いた人の為に当院はあります。

その当院が国家資格を取得し、国家資格があるので安心ですなんて謳ったところで何の説得力も無いのです。

国家資格がある方が安心できる。という方はまずそちらに行くべき。

「国家資格が無いのかぁ。。。」と当院のHPをご覧になってガッカリされた方は多いと思います。

その場合はまず「国家資格保持者」の院へ向かうべきです。

そこで症状が改善すれば何も問題ありません。ただ改善しなかった場合は改めて当院を検討して頂ければと思います。

中々症状が思う様に改善しない場合、何処かで気付くタイミングが来ると思います。

「大事なのは資格がどうこうじゃない気がする」

そこに気付きを得たなら一気に視野が広がるはずです。隠れていた選択肢が一気に見えてきます。きっと当院も前と違う見え方をしていると思います。

日々の臨床で磨かれた貴重なノウハウを師から学んだ。

院長が国家資格を取らなかった理由は「時間の使い方」の割り振りです。

学校に通う事で資格は得られますが、費やす時間と費用は相当なものになります。そして学ぶのは基本的に「教科書に書いてあるセオリー」です。

教科書に書いてあるセオリーは今の時代学校に通わなくてもAmazonで医学書を買えば手に入ります。誰もが高校、大学で感じたと思います。

「これ、結局教科書に書いてる事やんか」と。

院長は学校では学ぶ事ができない「臨床で磨かれたノウハウ」を学ぶ事に時間を費やすべきだと判断をしました。

その結果、学校ではなく師に直接ついて昔ながらの学び方をする道を選んだのです。

  • 学校で学ぶ教科書の内側については自分で医学書を買って学びました。
  • 師から教科書の向こう側の世界について学ぶ事に時間を一層費やした。

これは業者として業界に関われた経験が非常に活きました。国家資格系の専門学校も、カイロ大学も入学せずにその中身をしっかり知ることができたからです。

どっちが良いかは誰にもわかりません。どちらを選ぶかというだけの問題です。

学校よりもよっぽど険しい世界が待っていた。

師について教えを乞うという方法は非常に厄介です。昔の様に「見て盗め」一辺倒という訳でなくヒントもくれますし、時には手取り足取りで教えてくれます。

ですが、達人と呼ばれる人ほどに「暗黙知」の領域が広過ぎるのです。本人が思っているポイントと本当に大切なポイントがズレているという悲劇。

つまり、教えに素直に従っている限りは上達しないという悲惨な状態に襲われます。師から伝えられた事の「本質」を理解し、分解し、再構築するという鋼の錬金術師のような事が必要になるのです。

その掘り下げの先に答えが待っています。

この「暗黙知」との格闘は本当に良い勉強になりました。

学んだ技術は全て自分の言葉に置き換えて再構築されています。そしてその重要性は今になって本当に身に染みています。

まとめ:結局は必要ならば取得すればいい。

結局はこういう事です。

必要であれば取得すべきだと思います。

院長の場合はどう考えても必要ではありませんでした。だから取得する道を選びませんでした。

  • 国家資格が無いからあそこは危ない
  • 国家資格が無いからあそこは不安だ

こう思われる可能性も全て受け入れた上での決断です。

自分の経験から言って最初は誰もが国家資格に安心感を求めます。自分の身体の事なんですから当然です。

そこで改善すればそれで良し。問題はそれで改善しなくて道が見えなくなった時です。

  • 信頼していた国家資格が思っていた程にあてにならない事がわかった。
  • じゃあ、どうすればいいんだ?
  • 自分にはどんな選択肢が残っているんだ?
  • 手術しかないのか?

気持ちが追い詰められた患者様の新たな選択肢として当院は今日も吹田市千里丘で頑張ります。

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